成り立ち

財団について

昭和30年代後半から始まった高度成長時代には、核家族化が進行、共働き家庭の増加、交通事情の悪化など、子どもをとりまく環境は次第に変化してきました。このような社会情勢に対応して、子どもが安心して遊び、心身の健やかな発達を保証する児童厚生施設「児童館」が全国的に徐々に整備されてきました。
初代理事長阿部千里は、当時、山形県の農村地域の子どもが農繁期に放置されている現状を憂い、児童館の国庫補助による整備を主張しました。阿部は28歳から3年半にわたり、国会議員の協力を得て、当時、児童館担当部署のなかった厚生省(現厚生労働省)に対する陳情活動を活発に展開。黒木利克児童局長と出会い、ついに昭和38年に児童館に対する国庫補助の導入に尽力しました。この国庫補助制度をきっかけに、全国で児童館設置の機運が高まり、昭和43年に「全国児童館連絡協議会」が設立され、厚生省児童家庭局内に事務局が設置されました。

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昭和61年12月、大蔵省(現・財務省)当局への児童館予算陳情の様子(後列、左から4人目が、阿部千里)

昭和50年に全国児童館連絡協議会は発展的に解消、新たに「社団法人全国児童館連合会」が設立されました。一方、昭和48年に設立された「財団法人東邦生命社会福祉事業団」は健全育成のボランティア組織である地域活動(母親クラブ)を連絡調整する事業を全国展開してきました。平成12年4月、児童の健全育成を推進してきた両組織は志を一つに統合し、「財団法人児童健全育成推進財団」となり、現在に至っています。平成26年4月1日から、一般財団法人に移行しました。

沿革

  • 昭和48年 財団法人東邦生命社会福祉事業団 設立
  • 昭和50年 社団法人全国児童館連合会 設立
  • 平成12年 財団法人児童健全育成推進財団 設立
    初代会長 戸澤 政方 就任
    初代理事長 阿部 千里 就任
  • 平成17年 二代目会長 金田 一郎 就任
  • 平成19年 第二代理事長 高城 義太郎 就任
  • 平成22年 会長制廃止
    第三代理事長 鈴木 一光 就任
    事務所移転(渋谷区渋谷)
  • 平成26年 一般財団法人へ移行